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Vol・22 〜「創造の箱舟」 齋藤賢二・城戸真亜子 2人展 〜
本展は、東京の日本橋の小さな画廊「あらかわ画廊」にて開催されました。

作品は、大きいものは無く家のリビングや寝室に飾るのに丁度良いサイズが多かったです。
女優・タレントでもある城戸真亜子さんの作品は、花の絵が2枚、プールに入っている少女達の絵が4枚、水辺の景色が4枚です。

彼女は、「水」に対して強く興味を持ち始め2005年から「水」をテーマにした作品に取り組んでいます。
バリへ行った時の出来事がきっかけのひとつになったそうです。
ホテルのプールで静かな時間を過ごしている時にそれは起きました。
バリ島の穏やかな空間、青い空や木々の緑、それらが鏡のように映っているプールの水面に突然、誰か飛び込んだのです。
音と共に水面に映っていた景色は破壊され、今までの穏やかで静かな時間が一瞬無くなったことに息を呑むほど衝撃を受けたそうです。
でも、その光景を見ていると水は揺れながら飛び込んだ人を受け入れ、元の穏やかな姿を取り戻しました。
「あんなに壊れても、また元に戻る力を持っている。破壊と再生が繰り返し。水とはそういうものなのだ。」と感じ
このほんの一瞬のことに激しく心を揺さぶられ、その後も彼女の心の中に残り続けたのです。

プールに入っている少女の作品は、躍動感があり水面から顔を出している少女が今にもまた水に潜り泳ぎだしそうです。
水辺の景色は、見えている風景を素直に伝えてくれている気がします。周りの景色、湖に映った草木、揺れる水面、観ているだけで
空気を感じる事が出来ます。

花の作品は、あまり見た事がありませんでした。彼女の可愛らしい一面が出ているかの様なとても柔らかで、優しい気持ちになれました。
彼女は、パブリックアートも手掛けています。
その1つが神保町にあるカフェテラス「古瀬戸」の店内に描かれた壁画は、一面に広がりとてもカラフルで、お店に溶け込み何とも言えない
雰囲気があります。
ゆっくりコーヒーを飲みながら、壁画を楽しんでみてはいかがでしょうか。

Vol・23 〜 藤代清治 光と影88展 〜
この展覧会は、今年4月に米寿を迎えた藤代清治の記念影絵展です。
初期の油絵から、最近の「生きるよろこび」や「まぼろしの鳥の連作」、「セロ弾きのゴージュの絵本原画」など約70年間の代表作を自選し
88点集めてあります。

会場の入った所に掌に「88」と書かれた自画像が飾られていて、その隣に自筆のメッセージが書かれています。
藤代劇場の始まりです。

作品は、軌跡を辿るように展示してあります。
まずは、1950年彼の作品では珍しい油絵「ギニョールの楽屋」が展示してあります。絵から人形劇に傾斜していった時代に描いた油絵最後の作品です。

藤代清治というとこびとや猫や少女を題材にしたメルヘンなさ久品が思い浮かぶかも知れませんが、近年では日本の風景を題材にした作品を
手掛けるようになりました。


「陸前高田の奇跡の一本松」は、今年8月に東日本大震災の被災地・岩手県陸前高田市を訪れ、荒れ果てた砂浜に一本の松の木を見つけ
夢中になって描き、アトリエに戻り感じた思いをそのまま作品にしたそうです。
松の木の根元には数本の花が咲き、木の上ではロウソクを灯しているこびと達。この作品は、「生命のある限り、地球の中に生きている尊さや喜びを
愛を込めて、自然を描き、メルヘンも決して忘れずに描いて次の世代へのメッセージを送って行きたい」と語っている彼の思い、愛情が伝わってきます。


愛情と優しさに包まれ、いつまでもこの場所に居たくなる様な展覧会でした。


*展覧会情報*
期日:2012年9月1日(土)〜10月21日(日)  AM10:30〜PM7:30
会場:東京 銀座 教文館9階ウェンライトホール
入場料:大人 1,200円  小中学生 800円  幼児以下 入場無料


Vol・24  〜 もう1枚の 「モナリザ」 鑑定結果 〜
レオナルド・ダビンチ(1452−1519)の名画「モナリザ」の元になったオリジナル版だと所有者のスイスの財団が主張する“もう1枚のモナリザ”が
9月27日、スイスのジュネーブで一般公開されました。
専門家の間では、「アイルワースのモナリザ」と呼ばれていて1913年に英国のアイルワース(ロンドン西郊)で見つかり米国人の絵画収集家らを
経てスイス財団の「モナリザ基金」が2010年に購入しました。
財団によると、この絵の鑑定は専門家らが35年にわたり続けてきたが、デジタル技術を使ってルーブル美術館所蔵のモナリザの顔を
11〜12歳若返らせてみたところ、20代とみられる「第2のモナリザ」とピタリと一致し、2つの絵のモデルは同一人物と認定され、2つの絵の背景は異なるが
筆致にはダビンチの特徴がよく表れているという。


その一方、異論を唱える研究者も多い。
ルーブルがポプラの板に描かれているのに対し、ダビンチがほとんど使わなかったキャンバスに描かれていることなどが指摘されている。
また、「英国で20世紀になって発見されるまでの経緯が不明なのもおかしい。模写作品とみるのが妥当だ。」という意見もある。
希代の名画である「若きモナリザ」の真贋論争はまだまだ続くだろう。


*もう1つの「モナリザ」のニュース*
イタリアの調査チームは、フィレンツェの古い修道院の地下に「モナリザ」のモデルとなった可能性がある女性のものとみられる墓を見つけ
10月2日から遺骨を掘り起こす作業を開始した。

モデルについては、文献などからイタリアの貴族で、絹商人の妻だったリザ・デル・ジョコンド(1479−1542)である可能性が高いとされている。
しかし、この説は確定的ではなく、想像上の人物だなど多くの異説があり、美術史上最大級のミステリーとされてきた。
チームを率いる考古学者は、「女性の頭の骨が見つかれば今の技術で顔を復元する事が出来、彼女が本当にモナリザのモデルだったのか解明できる」
と説明している。


今回の調査で解明する事は出来るのでしょうか。
解明してしまっていいのでしょうか。
ミステリーのままがいいものもある様な気がしませんか。。。。。

  
Vol・25  〜 エリック・クラプトン氏所蔵の抽象画が27億円で落札 〜
英国ミュージシャン エリック・クラプトン氏が所蔵していたドイツの現代画家、ゲルハルト・リヒター氏(1932〜  )の作品が競売大手サザビーズに
出品され、約2132万ポンド(約26億9000万円)で落札されました。
生存する画家の作品としては史上最高額となりました。
落札価格は予想額の2倍となり、落札者は明らかにされていません。

この絵は、タイトル「アプストラクテス・ビルト(809−4)」といい、赤、黒、黄色などで描かれた油絵で、原色の絵具を上からスクイージーでこする手法が
使われています。
4作品で構成する「809」シリーズの1つで、美術収集家でもあるクラプトン氏が2001年に購入した作品です。


*ゲルハルト・リヒターとは*
1932年  旧東ドイツのドレスデンに生まれる。
1951年  地元の芸術アカデミーで5年間絵画を学ぶ。
1961年  デュッセルドルフに移住する。デュッセルドルフ芸術大学に入学。
1964年  ミュンヘンとデュッセルドルフで初の個展。
1971年  デュッセルドルフ芸術大学教授に。15年以上にわたり務める。
1997年  第47回ヴェネツィア・ビエンナーレ金獅子賞受賞。 日本においても、高松宮殿下記念世界文化賞を受賞。


ドイツ最高峰の画家とされ、若者にも人気がある。
代表的な手法として「フォト・ペインティング」が挙げられる。
新聞や雑誌の写真を大きくカンバスに書き写し、画面全体をぼかした手法である。
他にもモザイクのように多くの色を並べた「カラー・チャート」、カンバス全体を灰色の絵具で塗りこめた「グレイ・ペインティング」
様々な色を折り込んだ「アブストラクト・ペインティング」、鏡やガラスに事象を映し出す事を作品化した「ミラー・ペインティング」など
多様な手法に取り組んでいる。

その多彩な作風から「カメレオン」とも呼ばれている。
Vol.26  〜藤田嗣治の遺作、仏 ランス市に寄贈〜
1920年代にぱりで活躍した画家、藤田嗣治(1886−1968)が永眠するフランス・ランス市に、遺族が水彩の自画像や油彩画など作品35点を
2012年10月22日に寄贈しました。


ランス市には、「フジタ礼拝堂」があり、2018年には市立美術館が建ち藤田作品を専門に展示する部屋(約240平方メートル)を設けるという話をうけて
寄贈したそうです。
寄贈した堀内雄也さん(藤田の妻の甥)は「故人は日記に『できればミュゼ(美術館)は造って死にたい。画だけは散らさずに、そこに残したい。画が残せるのは
芸術家 画家としての誇りだ』と記しており、その思いを叶えられた。作品は分散させたくなかったので、大変嬉しい」と話しました。
藤田嗣治は1968年に亡くなりパリ郊外で埋葬されたが、2003年に礼拝堂に改装されました。


今回、寄贈されたのは、パリの画壇で著名になり始めた頃1922年作「自画像」をはじめ、滞在先のブラジルのy情勢を描いた「マンゴー」(1932年)
「礼拝堂」(1956年)、「猫」(1963年)などです。

美術館の開館までに、追加の寄贈も検討されています。



*藤田嗣治*
1886年  東京の医者の次男として生まれる。小学生の頃から画に興味を持ち始め、14歳の時に画家になりたいと父に告げる。
1905年  東京美術学校へ入学。当時の師であった印象派の流れを汲む「紫派」の黒田清輝(1866−1924)には、彼の画風は全く評価されなかった。
1913年  渡仏し、パリのモンパルナスに住み始める。当時藤田の隣に住んでいた、後に親友と呼んだモディリアーニや、スーティンらと知り合う。
       彼らを通じ、ピカソや、ルソーらと交友を結ぶ。初めてキュビズムやシュルレアリスムを知り衝撃を受け、今までの作風を全て破棄する
       決意をする。
        翌年戦争が始まり貧困な生活になるが、シェロン画廊で最初の個展を開き、良い評価を受け、高値で売れるようになった。
1921年  独特の乳白色の色彩で描かれる人物画が注目を浴び、「エコール・ド・パリ」の有名な画家となっていく。
       トレードマークのおかっぱ頭は、お金が無く自分で散髪していた時代の努力を忘れぬようにと、成功してからもずっと変える事はなかった。
1959年  フランスでキリスト教の洗礼を君代夫人と共に受ける。洗礼名は敬愛するレオナルド・ダ・ヴィンチから名をもらい、レオナルド(フランス読みで
       レオナール)とした。


*フジタ礼拝堂*
藤田嗣治が80歳の時、洗礼親のルネ・ラルーの依頼を受け設計し、内部のフレスコ画やステンドグラスや彫刻などの装飾も彼自身が手掛けた。
2009年に東京で亡くなった君代夫人も埋葬され夫人の遺言通り共に眠っている。
とても小さなその礼拝堂は、今では観光地となっている。